一晩中、水銀灯が消えることの無い構内。
幾本もの夜行列車が、真夜中のサミットを越えて行き来した。
発車のホイッスルそして警戒音。
眼を瞑るとありありと目蓋に映る。そして聞こえる。
上越線を越えた夜行列車たちよ、さようなら。
ひとしきり、ため息をついただけ。
1979年3月 上越線 石打駅。
一晩中、水銀灯が消えることの無い構内。
幾本もの夜行列車が、真夜中のサミットを越えて行き来した。
発車のホイッスルそして警戒音。
眼を瞑るとありありと目蓋に映る。そして聞こえる。
上越線を越えた夜行列車たちよ、さようなら。
ひとしきり、ため息をついただけ。
1979年3月 上越線 石打駅。
12月の30日頃ではなかったか。
本当に雪が無い。
もっとも年が明けて本格的な雪が降ったのだが、この年は年末年始のスキー場は
雪不足だったように記憶している。
グリーンの帯が1両・・。
この頃から帯が消えていったのかな。
それにしても、181といい165といいかっこいいねぇ。
1979年12月 岩原スキー場前~越後中里。
バイクにカメラバックと三脚をくくりつけ、大宮から。
日の出の頃、まずは暖気運転をして。
さぁ出発。
手がかじかむ、足の指先も・・・。
オレンジのジェットヘルから出ている顔に当たる風が冷たい。
波久礼から金尾峠を越え長瀞へ。
空気が変わるのはちょうどそのあたり。
さぁデキがやってきた。
楽しい一日の予感。
1979年12月 長瀞~野上。
秩父の地は、かつてこの桑をとても大切にしていた。
蚕のための桑。
夜になるとサワサワと蚕が桑を食む音が一階にいても聞こえてきたそうだ。
冬枯れの桑畑のこみち、霜柱が解けていく。
貨物がガッタンガッタン過ぎてゆく。
1979年12月 野上~上長瀞。
急行秩父路。
オリジナル300系。
今見ても良い色合い。
正に秩鉄カラー。
秩父鉄道。最近リバイバルカラーがはやっているようで。
また見に行きたいな。
1979年12月 長瀞~上長瀞。
秩父鉄道で忘れてはいけないのは、デキたち。
鉱石列車はもちろん、普通貨物とあわせるとたくさんの列車が走っていた。
旅客と貨物の比率は6対4ぐらいだったのでは。
デキ4はまだ茶色だったかなぁ。
デキ300はシールドビーム改造前だ。
1979年12月 上長瀞~親鼻。
休日になると東上線経由でこんなのも乗り入れていた。
東武や国鉄の車両が入線すると、パンタ昇圧と材質の関係で
架線が痛むようなことを、保線の仕事をする彼の父親が話していたのを
思い出す。
彼の両親が亡くなって久しい。
ホンダの研究所に勤める彼は、たまには故郷に帰っているのだろうか。
会わなくなって暫らく時間が経つ。
今以って思う。この頃の写真が撮れたのは彼のおかげ。
元気でいるか。
1979年12月 長瀞駅。
821Mが特急退避でいつものようにポイントを渡り3番線に着く。
上り1番には、ゴハチのオールグリーン。
カメラ片手の通学の一枚。
しかし、懐かしいなぁ。
熊谷ってこんな駅だったんだよね。
1979年12月 熊谷駅。
宮浜に空っ風が吹く季節。
田んぼの色が、冬の始まりを教えてくれる。
北風は、夜行列車も一緒に連れてくる。
1979年12月 蓮田~東大宮。
黒谷を過ぎて暫らく行くと、荒川の対岸へと渡る新しい道が出来ていた。
「あっ、橋が見える・・・」
「下に降りられるかなぁ」
夕陽を浴びて電車がやってきた。
みんなで川の音と列車が過ぎる音を聞いて。
秋の陽はつるべおとし。
帰りの道は、バイクのライトをつけて。
1979年11月 黒谷~大野原。
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