へそ曲がりなので順光ポイントへは行かず日陰でひとり撮影。
ここもまだ田んぼをやっていたんだなぁ。
この日は何名かの鉄を見かけた。
この撮影の後セコニックの露出計を置き忘れたんだっけ・・・。
1982年1月 八高線 竹沢~折原。
へそ曲がりなので順光ポイントへは行かず日陰でひとり撮影。
ここもまだ田んぼをやっていたんだなぁ。
この日は何名かの鉄を見かけた。
この撮影の後セコニックの露出計を置き忘れたんだっけ・・・。
1982年1月 八高線 竹沢~折原。
初めてこの名前を見たとき知った時・・・「きたきょまぐん」?って読んだのは自分。
すぐに「きたこまぐん」と判ったし人前で披露することなく恥をかかずに済んだ記憶がある。
この歳になるまで実は知らなかった勘違いしていたと思うことまだありそうな気がする。
知ったかぶりは怖い。漢字の書き順なんか特に怖い・・・。
1982年の12月31日の撮影と記録がある。仲間と2輪&4輪ツーリングでの一コマ。
あの頃は十石峠も冬季通行止めではなかった。
後ろに見える飯盛山にも登ったんだっけ。
楽しかった青春のいちページ。
みんな元気かぃ・・って年中会ってるけど、たまには屋外活動したいなぁ。
1982年12月 小海線 甲斐大泉~清里。
82年11月の飯田線撮影行はこれで終了。
ブローニ24本延べ250枚で打ち止め。
なんで数枚の掲載かって・・・。それはね・・・だから。(気に入らないのと失敗だから)
1982年分もあとわずか。そろそろスキャンしないと。
1982年11月 飯田線 伊那松島。
先週の事、後ろに見える中央高速で名古屋へ。
走りながらナビを見てあぁここらへんだな・・・なんて思いながらの通過でした。
駒ケ根、田切、七久保、時又・・・。ほんとなつかしいなぁ・・・。
またいつか撮影に行ってみたい。
1982年 11 月 飯田線 七久保~高遠原。
長いよね・・・。
もっと長いのもいたっけ・・・。
懐かしいなぁ・・・。
時代は廻るというけれどなかなか来ないぞこの時代。
リーゼントにハイカラーのチュウラン、ボンタン、エナメル靴に底鋲、ペタンコの学生カバン・・・。
くるくるパーマに長いスカート・・・。
まぁここに映っているのは、まじめな生徒みたいだけれど。
1982年11月 飯田線 七久保駅。
5月に引き続き登ってきました。
スカ色の旧国もいいけれど湘南色の80系もなかなか。
そういえば、この少し前には信越線の高崎口に80系が残っていたのだがEF63との組み合わせは残念ながら
撮れてない。そんな思い出がある80系。
紅葉も終わりに近づく伊那谷にタイフォンが響く。
1982年11月 飯田線 千代~金野。
この年の11月に上越新幹線が開業して、慣れ親しんだ上越線にしばらくは行かなかったのだろうか。
なんとなく空白の時間の始まりだったようで・・・。ただ飯田線へ通うことにはなっていたようで・・・。
撮影データは11月20日からとなっている、前日の夜出発してここへ来たのだろう。
4日間の撮影行の始まり。
1982年11月 飯田線 伊那本郷~七久保。
右端に写る農家の佇まい・・・。昔の蚕部屋ですね。
屋根の上には今でいう換気口を乗せています。
このころすでに養蚕はやめていたでしょうが其の造りは健在でした。
画面左に白い土蔵が見えます。
兜造りのような立派な母屋があり、手前には小さいリンゴの畑もありました。
その家々を入れての構図が好きでよく通いました。
しばらくすると母屋は現代風ののっぺりとした新築に代わりがっかりしたものです。
因みにこの場所は今、関越自動車道が通っているあたりではないでしょうか。゜
1982年11月 上越線 上牧~後閑。
ループ上段には旧湯檜曽駅。
前に階段で登ったことを話しましたが実はここにも見えているコンクリートの法面を登ったことがありました。
車両の大きさからわかるように実際は一枚一枚の石積みの枠は大きくしかも傾斜がありけっこう怖かったことを思い出しました。
今だったら完全NGでしょう。
これは485系ですね・・いなほかはくたかでしょうか。
彼らも紅葉は見納めです。
1982年11月 上越線 湯檜曽~土合。
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