ブローニで撮り始めのころ。

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35mmのモノクロから始め、後に35mmポジとのプレート二丁切り。

そしてマミヤC220のブローニと35mmモノクロの二丁切りへ。

 

高校2年ぐらいからはどちらかの手持ちの一台切りを含めてそんな感じだったように記憶する。

 

ゴナナを撮っていたころは中学生なのでそれでもやっと一眼レフカメラ。

当時は親にお金を出してもらい足りない分は家の仕事(自営業)手伝いで機材やら現像代を捻出していた。

その頃うちでは中学に上がると家の仕事を時給いくらかで習うのが当たり前だった。

当然兄貴もそうやっていたので自分もそのようにやっていた。

兄貴が高校大学の頃、仕事が抜けられず、お前何々撮ってこいなんてこともあった。

中学生が出来る仕事は限りがあったが兄貴はそこそこの戦力だったから。

ある意味兄貴に言われて始めた鉄道写真撮影だったような気もする。

最初のころ(とは言っても小学生高学年から中学生)は現像が上がると露出がこうの被写界深度が分かってないなんて

ダメ出しばかりだった気がする。

 

中学のころ周りの年上の人はみんなブローニを持っていた。

社会人、学生といたがブローニのポジの中のゴナナの質感がうらやましかった。

 

高校に上がるとブローニが欲しくなった。

RBやゼンザブロニカは高くC330も手が出ない。リンホフ・・・なんじゃそりゃ。

結局C220の選択しかなかった。

330と220の違いはセルフコッキングが付いているかいないかの違いぐらいで、レンズはすべて一緒で

問題はなかった。

 

やっと手に入れたブローニ。

もうゴナナは無くなっていたけれど。

 

 

 

1980年3月           高崎線   宮原~大宮。

 

 

 

 

 

 

 

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このページは、銀の道が2016年3月21日 19:38に書いたブログ記事です。

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